琵琶歌でも有名な「敦盛」の物語、実際に須磨寺や須磨周辺を取材しました。
日本の歴史を感じる場所と聞いて、多くの人が想像するのは古都京都だけではありません。神戸にある須磨寺も、その一つです。ここは平安時代末期、壮絶な戦いが繰り広げられた地としても知られています。この地は、平敦盛という若き武将が活躍し、その生涯を閉じた「一ノ谷の戦い」の舞台であり、多くの文化財や伝説が今に伝わる場所です。このブログ記事では、須磨寺とその周辺地域の歴史的な背景、自然の美しさ、文化的価値を深掘りしていきます。
須磨寺と平敦盛:歴史的背景と見所
須磨寺の創建と歴史的意義
須磨寺略歴縁起(寺蔵)によれば、兵庫区和田岬の海中より出現し給える聖観世音菩薩像を安置するために、淳和天皇の勅命により、兵庫区会下山に、恵偈山北峰寺が建立されました。後に、仁和二年(AD886)に、光孝天皇の勅命により、聞鏡上人が現在の地に上野山福祥寺を建立し、北峰寺より聖観世音菩薩像を遷し、本尊としてお祀りしたのが、当山の開基と伝えられています。
正式名は上野山福祥寺(じょうやさんふくしょうじ)であるが、古くから「須磨寺」の通称で親しまれてきました。平敦盛遺愛の青葉の笛や弁慶の鐘、さらに敦盛首塚や義経腰掛の松など、多数の重宝や史跡があり「源平ゆかりの古刹」として全国的に知られています。
須磨寺HPよりhttps://www.sumadera.or.jp/
「源平の庭」は、平敦盛・熊谷直実の一騎討ちの場面を再現しているそうです(*^_^*)
須磨寺へは、山陽電車 「須磨寺駅」で下車し徒歩で向かいました。駅を降りてすぐに「平重衡捕らわれの松跡」があります。すでに源平の史跡めぐりが始まっています(^^)/
須磨寺の宝物館では敦盛のものと伝えられる「青葉の笛」など、常設展示しています。撮影もOKでしたよ(*’ω’*)
お人形の敦盛公はなんだか可愛いですね(*’ω’*)
「敦盛の首塚」は、須磨寺の唐門を入り、本堂や三重塔を抜けて、静かな一角にあります。絶えず参拝者が訪れていました。
一ノ谷の戦いと須磨寺
須磨寺の名前が全国的に知られるようになった大きな要因は、寿永3年(1184)源平一の谷合戦の舞台になったことであります。一の谷合戦が行われた時、須磨寺は源氏の大将源義経の陣地であったと伝えられています。海と山がせまった地形を利用し、海側に陣を構えた平家の裏をかき、義経は山から崖を馬で駆け下り逆落としの奇襲をかけます。不意を突かれた平家は、海へと逃げることしかできず、源氏の歴史的な勝利となりました。
須磨寺HPよりhttps://www.sumadera.or.jp/
義経ゆかりのもの、敦盛や青葉の笛に関するもの、須磨寺そのもの
に関してもまだまだ見どころが沢山ありました。②へ続きます(^^♪
<PR>
史跡めぐりをするなら(^^♪
コメント