須磨の史跡巡りの最後は、敦盛塚と鉢伏山上にある須磨浦山上遊園からの景色です(^^♪
敦盛塚
琵琶歌「敦盛」は、一の谷の戦いで熊谷次郎直実が平敦盛を呼び止め、波打ち際での一騎打ちで戦い討ち取るまでを描いています。合戦の非情さ、哀しさを歌う約15分ほどの大作です。
直実が一の谷の浜に着いた時、ほとんどの平氏は海に逃れた後でした。しかし、その中で一人だけ波打ち際で逃げ遅れた立派な鎧を着た平家の武者を見つけます。そして、直実は扇をかかげ「敵に後ろを見せるは卑怯なり。返せ返せ」と呼びかけます。するとその武者は振り返り、直実に一騎打ちを挑みます。しかし、あえなく倒され、直実が首を取ろうと兜を取ると、なんと直実の息子と同じ年の頃16,7歳と見える紅顔の美少年でした。「あなたの名前をお聞かせください。」と直実が尋ねると「あなたはどなたですか。」と聞き返され、「名乗るほどの者ではありませんが、熊谷直実と申します。」そう答えると、「あなたに名乗るのはよしましょう。あなたにとって私は十分な敵です。どなたかに私の首を見せれば、きっと私の名前を答えるでしょう。早く討ちなさい。」と答えたそうです。直実はその潔さに胸がつまりました。この若い命を討とうが討つまいが、戦の勝ち負けに関係はない。自身の手柄ほしさでこの若い命を落とさせることになってしまう。息子の小次郎が少し怪我を負っただけでも心辛かったのに、この方の父上が討たれたことを聞いたらどれだけ嘆かれるだろうかと思いを巡らせました。助けたいと思った直実が後ろを振り返ると、梶原景時ら味方の軍勢がすぐそこまで近づいてきます。もういよいよ逃げられまい。「同じ事なら、直実が手にかけて、後のご供養をお約束します」と泣きながら刀をとりました。
須磨寺HPより引用https://www.sumadera.or.jp/
さて、「戦の濱」碑から散策し、須磨浦公園駅を過ぎて4分ほど歩いたところに「敦盛塚」があります。
4mもあるそうで、敦盛首塚よりもかなり大きいです。
この敦盛塚は、敦盛が熊谷次郎直実によって首を討たれ、その供養のため建てられた、という説と、北条貞時が平家一門の冥福を祈って建てた、など諸説があると書かれています。
前述の須磨寺の敦盛首塚はあきらかに敦盛のための塚でしたが、こちらの敦盛塚は諸説あるんですね。
鉢伏山へ「須磨浦山上遊園」
須磨浦公園駅まで戻り、須磨浦ロープウェイに乗ります。
鉢伏山からさらに須磨浦カーレーターに乗ります(*^_^*)
このカーレーター、初めて乗りましたがユニークで最高です(笑)
回転展望閣の屋上へ上がります。
鉢伏山の急斜面、その向こうに今歩いてきた須磨、さらに大阪湾が遠くに見えます。眺めが良いのですが海風でかなりの強風でした。この付近が源平合戦の舞台となったといわれています。
下の階「コスモス」は、床が360度回転する喫茶室です!
西側の明石海峡大橋や淡路島を望む写真を撮りました。
一の谷合戦の史跡巡りは以上となります。
忘れてはならないのは、この史跡巡りで歩いた地が阪神淡路大震災から復興をとげたところであるということです。
静かで美しい須磨地区に、ぜひ足をお運びください(*^_^*)
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須磨へ行くなら!
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