琵琶歌「本能寺」 織田信長と幸若舞・敦盛

琵琶
<PR>この記事には広告が含まれています
歴史の舞台で織田信長がどれほどの影響を与えたかを考えると、「本能寺の変」に至るまでの信長の思考に頭をめぐらせずにはいられません。そして信長が好んで舞ったという「幸若舞・敦盛」の中で特に重要な言葉と言えば、「人間五十年」という言葉です。この曲は、信長の人生観や哲学を読み解く手がかりとなります。この記事では、信長の生きた時代背景や、信長自身がどういった思いを持っていたのかを考えていきます。歴史の奥深さに触れるこの旅に、ぜひお付き合いください。

(織田信長_本能寺焼討之図-楊斎延一 作-_1896年)

衆寡敵せず信長は 自ら館に火を放つ
(薩摩琵琶鶴田流「本能寺」の一節より)

良寛の漢詩と、織田信長+幸若舞「敦盛」について

頭をめぐらせば 五十有余年 人間の是非は 一夢のうち
(薩摩琵琶鶴田流「本能寺」の一節より)

琵琶歌では、良寛の漢詩の一節を引用しています。
良寛は江戸末期に72歳まで生きた禅僧であり、下記に挙げる信長や幸若舞「敦盛」とは直接関係が無いと思われます。詩吟に取り入れられ親しまれています。

半 夜  <良 寛>
首(こうべ)を回(めぐ)らせば 五十 有余年
人間(じんかん)の是非は 一夢の中(いちむのうち)

山房五月 黄梅の雨
半夜 簫簫として 虚窓に灑ぐ

*詩の意味*
過ぎ去った五十余年の生涯を顧みると、人間社会のことは是も非も善も悪も、すべて夢の中のことのように感じられる。この山の庵に一人座っていると、五月雨が真夜中の窓に寂しく降り注ぐのであった。

半夜 – 日本の漢詩 – 漢詩・詩歌・吟詠紹介 – [学ぶ] – 関西吟詩文化協会より引用

幸若舞『敦盛』とは

幸若舞(こうわかまい)は、語りを伴う曲舞から変貌したものと言われています。
曲舞とはストーリーをともなう物語に韻律を付して、節と伴奏をともなう歌舞です。もっとも古い文献によると1318年に寺の供養の芸能に記されています。のちに観阿弥が能の中に取り入れました。白拍子が次第に女の専芸になったのに対し、曲舞は男の芸として白拍子芸を基調にして当世向きの歌詞を撰述し、装いを新たにして登場した芸能であったと思われます。
曲舞から変貌した幸若舞室町時代に流行し、武家達に愛好された芸能であり、武士の華やかにしてかつ哀しい物語を主題にしたものが多くこれが共感を得たことから隆盛を誇ったとのことです。
(参考文献Wikipedia、「日本芸能史2(法政大学出版部)」)

織田信長は幸若舞『敦盛』の一節にあたる小唄を好んだことが知られています。この小唄は、人の世の50年の歳月は天界の一日にしかあたらない、夢幻のようなものだと解釈されています。

幸若舞「敦盛」の一節より
青色アンダーラインは織田信長が桶狭間合戦の前に、幸若舞をひと差し舞ったとされる一節です。

去程に、熊谷、よく/\見てあれば、菩提の心ぞ起りける。「今月十六日に、讃岐の八島を攻めらるべしと、聞てあり。我も人も、憂き世に長らへて、かゝる物憂き目にも、又、直実や遇はずらめ。思へば、此世は常の住処にあらず。草葉に置く白露、水に宿る月より猶あやし。金谷に花を詠じ、栄花は先立て、無常の風に誘はるゝ。南楼の月をもてあそぶ輩も、月に先立つて、有為の雲に隠れり。人間五十年、化天の内を比ぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を受け、滅せぬ物のあるべきか。これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ」と思ひ定め、急ぎ都に上りつゝ、敦盛の御首を見れば、もの憂さに、獄門よりも盗み取り、我が宿に帰り、御僧を供養し、無常の煙となし申。御骨ををつ取り首に掛け、昨日までも今日までも、人に弱気を見せじと、力を添へし白真弓、今は何にかせんとて、三つに切り折り、三本の卒塔婆と定め、浄土の橋に渡し、宿を出でて、東山黒谷に住み給ふ法然上人を師匠に頼み奉り、元結切り、西へ投げ、その名を引き変へて、蓮生房と申。花の袂を墨染の、十市の里の墨衣、今きて見るぞ由なき。かくなる事も誰ゆへ、風にはもろき露の身と、消えにし人のためなれば、恨みとは更に思はれず。

浅草志・敦盛・ありやなしやより引用

(織田信長_織田信長像-狩野元秀 作-_1583年)

信長の生涯と「人間五十年」の関係について考察する

信長の生涯を振り返ると、彼が「人間五十年」という言葉をどのように体現していたのかが見えてきます。彼は、若い頃から数々の戦いに挑み、数多くの家臣と共に天下統一を目指しました。その中で、彼は人生の儚さを痛感し、自分の置かれた狭い世界に満たされない虚しさを感じ、どのようにその瞬間を生きるのかに思いを馳せたのです。その一瞬の煌めきを持っていた彼の人生は1582年(天正10年)、奇しくも信長49歳を迎えた時「本能寺の変」により終えることとなりました。

信長に影響を与えた「敦盛」

信長が好んだ「敦盛」から、彼の人生観が垣間見えるように思います。この曲の中のテーマは、人間の運命や人生の虚しさを強調していて、信長自身が抱える矛盾や孤独感を浮き彫りにしています。「敦盛」を通じて、命が軽んじられ激しい戦闘や政権交代が繰り返される戦国時代を生きる中で、信長は自らの運命をどう受け止め、どう生きるべきかを考えたのではないでしょうか。

信長が「敦盛」を好んだのは、自己の運命を冷静に受け入れる姿勢を見出したからではないかと思います。信長は、戦国時代における自身の立場を理解しながら、人生の一瞬一瞬を大切にすることの重要性を実感したことでしょう。この教訓は、彼の判断や行動に深く根ざしており、彼自身の選択にも大きな影響を与えたと思われます。

信長の真意を探るための書籍の紹介

信長の考えをより深く理解するためには、多くの資料や書籍が役立ちます。彼の生涯やその背景について掘り下げることで、私たち自身の人生にも生かせるヒントが得られます。文献を参考にしながら信長の思想への理解を深めていくことをお勧めします。

<PR>
「信長公記」を読んでみましょう!

現代語訳 信長公記(全) (ちくま学芸文庫) [ 太田 牛一 ]

価格:1650円
(2025/1/27 23:18時点)
感想(4件)

幸若舞「敦盛」はこちら♪

幸若舞(3) 敦盛・夜討曽我 (東洋文庫) [ 荒木繁 ]

価格:2530円
(2025/1/27 23:51時点)
感想(0件)